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仏教に関する豆知識を紹介いたします。
皆様が普段に使っている言葉や生活の中にも、仏教に関わりがあることがたくさんありますのでいくつか紹介いたします。興味のある方はご自分で他にもお調べになってみると、仏教が日本人の生活に密接に関わっているのがよくわかりますよ。 |
【がき(餓鬼)】
「がき」というと、一般には「なまいきな〜」とか、「あの〜」とか、子どもをいやしんで呼ぶ言葉に使われますね。
仏教で言う迷いの世界に、「地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道」と大きくわけて六つの世界がありますが、この中の餓鬼道にいるのが本来の「がき(餓鬼)」といわれるものです。
この餓鬼は、食べたり飲んだりすることが出来ずにやせ細り、常に飢えとかわきに苦しむのですが、生前の罪の報いによって生まれ変わるといいます。
しかし、人間界も、行いによっては即、地獄道にも餓鬼道にもなりうることは、皆さんよくご存じのところですね。 仏教ではこれらの迷いの世界を離れて、仏の世界に生まれることを願います。来世は極楽に往生できればありがたいことですが、今の世界が極楽に変わればもっとすばらしいですね。
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【仏の子】
「一切衆生 悉有仏性」[いっさいしゅじょう しつうぶっしょう]
これは釈迦が説かれた涅槃経に登場する有名な一文である。「すべての人々は、悉く仏となる種(仏性)を有している」という意味だ。このため、我々は、「仏の子」といわれるのである。仏の願いは、まずこの真理に気付くこと。天台宗が、開宗千二百年大法会にあたり勧める特別授戒会の目的も、第一はそこにある。
茨城県つくば市で、千百人に及ぶ檀信徒がこのお授戒を受けた。受者は、背中に南無釈迦牟尼如来と書かれたオイズルと呼ばれ白い衣装を来て、日頃の行いを懺悔し、おかみそりを受けて身を清浄にする。髪の毛は我々を悩ませる煩悩の象徴とされているからだ。本来、仏の姿は眼には見えず、声も聞こえない。仏の言葉を伝戒師が代弁して尋ねる。
仏の教えを信じ、悪いことはせずに善い行いをし、あらゆる人のためにつくすことを誓いますか?
この問いに対して、「能く持つ[よくたもつ]」と誓いをたてた瞬間、鐘の音とともに、眼に見えない仏が、光となって頭上にあつまり、体の中に入ってくる。それによって今で眠っていた自分の中の仏性が輝き始める。人間は人間だけでは、弱い存在である。それが、この尊い光を頂くことによって、仏の子であることに気づき、自然と仏の道を歩むことができるようになるのである。
仏の教え持つことを誓います!
芽を出した種は、どんどん成長してついには花を咲かせ、やがて多くの種をつける。お授戒を受けた一人ひとりの輝きが、周りの多くの人々を照らし、さらに世界を照らしていくことが、仏の真の願いなのである。 |
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【象徴する力】
「日本文化の力、それは、調和力、象徴力そして尊敬力…。」
これは日本人が忘れかけている文化の力、略して文化力といったことがいまいわれている。そのなかのひとつ、象徴する力、例えば、蓮の華、この華、一つで百万もの物やことばを象徴する力があるという。またマナーということばが日常語になった。マナーとは、完成された美の様式といわれている。これも象徴する力、マナーの良し悪しにその人の人格が表れてしまうからである。そうしたことを作法やしきたりと呼び、日本人は古来より大切にしてきたのである。
その象徴する力を駆使して蓮の華を飾り、ご先祖を迎えるマナーの時・お盆がやって来る。これが麗しい日本の文化の力であろう。お盆の意味は、亡きご先祖様に感謝し、供養することのほか、もうひとつ「お盆の効用」ともいえるものもある。それは、家族や、親類縁者が一堂に会するという「全員集合」の効用であろう。
経典に父母への孝養が強調されているのもお盆。「生見玉[いきみたま](魂)」 といって家を出て外で働いている若者たちが親に逢いに来る日もお盆にはセットされている。民族の大移動といわれる帰省は、この「たましい」そのものかもしれない。
蓮の華の美しさ
古くは大陸から渡来し、仏教とのかかわり強く、濁世[じょくせ]の泥の中から力強く清廉で、慈悲の象徴ともいわれる花實を同時に結ぶ不思議な植物
それが象徴する力は大きい。 |
【みじん(微塵)】
皆さんは、こなごなに砕け散ることを「木っ端微塵になる」なんて使いますよね。極めてこまかな、わずかな事や物のことを、一般に「みじん(微塵)」というのはご存じのとおりです。
仏教では、肉眼で見ることのできる最小のもの、また万物を構成するなかでそれ以上分解でそれ以上分解できない性質を有するものを微塵といいます。
本当に見えるかどうか疑わしいのですが、詳しくいいますと、指の一節の長さを7の10乗または11乗数で割り算したものを極微といい、1極微が7つ集まって「微塵」になるそうです。私たちの体も結局のところ微塵(極微)のあつまりということができるのです。
遠い昔に今でいう原子や原素にあたる概念があったことには驚くばかりです。 |
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