天台宗 涌石山大日院 佛性寺
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佛性寺について

由来

天長年間(824〜834)慈覚大師の創建という。貞和5年(1340)比叡山坂本から山王を勧請、本尊大日如来は文安5年(1448)鋳造されている。三十日仏坐像は、1日から30日にいたる小型の脇待仏で、もとは30体あったと思われるが、現在は20体だけが安置されており、本尊とともに茨城県指定の文化財となっている。三十日仏坐像は康正元年(1455)に造られている。


所在地である栗崎は、「和名抄」に見える芳賀郷の本郷にあたるといわれ、暦応3年(1340)11月の「常冨村々公田注文写」に「栗崎公田七町五段三百歩」とあり、栗崎村は南北朝期には成立していたと考えられ、当寺も南北期に中興されたものと推定される。

八角堂は昭和63年1月13日国指定文化財となっているが、柱に「仏性寺六代之時建立、当村住立原大蔵丞幹貫為形見」、「天正十三年三月十一日立原伊豆守政幹」とあり、戦国期には江戸氏の家臣であった立原氏の外護のもとに当寺が経営されていた事情を知ることが出来る。

水戸市指定保存樹のいちょう

かっては水戸十ヶ寺のひとつで絹衣相論にも関与した巨刹であったが、貞和5年(1349)から寛文3年の間に四度の災害に遭い、烏有に帰した。そのつど再建されたが、規模はしだいに縮小されたという。

八角堂は、天正年間に建立されたのち、寛永8年(1631)4月立原神五郎の外護のもとに再建され、江戸時代になって外護者を失ってからは、村人の手によって保護されたようで、文化13年(1816)には、庄屋人見次郎兵衛・人見菅之丞・照山善衛門・塚本藤五郎・酒出五右衛門に寄進によって修復されている。現状の建物は寛文3年(1663)の再建である。

寛文3年(1663)の開基帳によると、高11石余、門徒9ヶ寺、百姓旦那160人とあり、下大野村玉泉寺・見川村多宝院・鯉淵村持福院の末寺の他に門徒数ヶ寺を有していたようである。



八角堂では昭和36年までは、7月27日が縁日で、護摩が焚かれ、本堂に舞台をかけ、芝居興行が行われ近郷の信仰を集めていた。また12月4日には大師講が営まれ、檀家からあげて貰った米でご飯やけんちんを振る舞い、子供達も集まり賑やかであった。


石造金剛力士像
石造金剛力士像は元禄7年の造立、石造六地蔵は天明9年四十世覚運が飢饉の為に亡くなった人を救うために造立したもので、ともに水戸市指定の文化財となっている。また、境内のいちょうは水戸市指定の保存樹である。平成9年には新たに鐘楼も建立されている。
「田口 茂兵衛」の墓【田口 茂兵衛の墓

佛性寺には、水戸藩の中間として京の朝廷に那珂川産の初鮭を運ぶ途中、殉職した「田口 茂兵衛」の墓があります。

水戸初代徳川頼房公は、那珂川に秋の産卵期の鮭がたくさんの帰趨することから、初鮭献上の習わしを始めました。この献上使として京に赴いた中間田口茂兵衛は、東海道岡部宿で道ゆずりのことから、江戸下りの旗本集団と争いになり殉職しました。

この報告を聞いた藩主は、岡部宿と水戸の佛性寺に慰霊碑を建て、以後、この役には諸々の特権が与えられたということです。
【基本データ】
名称 佛性寺[ぶっしょうじ]
住在 〒311-1133 茨城県水戸市栗崎町1985
住職 山田 純永
電話 029-269-2970
FAX 029-269-5072
山院号 涌石山大日院 [ゆうせきざんだいにちいん]
本尊 大日如来
本山 比叡山延暦寺


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